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東京高等裁判所 昭和43年(行コ)4号 判決

控訴人(被告) 東京都地方労働委員会 (補助参加人) 東京自動車交通労働組合 外六名

被控訴人(原告) 第二鳩タクシー株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの連帯負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、いずれも、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張、立証の関係は、控訴人東京都地方労働委員会代理人において別紙第一、その余の控訴人ら代理人において別紙第二、被控訴代理人において別紙第三のとおり夫々更に述べたほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

当裁判所も被控訴人の本訴請求を認容すべきものと認めるのであつて、その理由は、次に記載するほかは、原判決理由記載のとおりであるから、これを引用する(但し原判決一七枚目裏末行から一八枚目表一行目にかけて「一〇万八、四二九円」とあるのを「九万八、四二九円」と、原判決二〇枚目表五行目に「(同法二七条八項)」とあるを「(同法三二条)」と、同七行目に「(同法三二条)」とあるを「(同法二八条)」と同二二枚目表二行目に「第四、2の(ロ)ないし(ヘ)」とあるのを「第四、3の(ロ)ないし(ヘ)」と各訂正する)。

控訴人らは当審で更に別紙第一、第二のとおり主張するが、その主張するところは、結局は、原判決事実摘示にかかる控訴人らの主張の中に要約することができるから、その採用できないとする判断は、原判決理由記載に尽きるわけであるが、更に付加、再説すれば、次のとおりである。

不当労働行為に対する労働委員会による救済は、使用者の行為によつて損わしめられた労使の自由対等の関係をもとへ戻すため、その不当労働行為を排除し、申立人をして不当労働行為がなかつたと同じ事実上の状態、いわゆる原状を回復させることを目的とするものであつて、申立人に対し不当労働行為による私法上の損害の救済を与えることや、使用者に対し懲罰を科することを目的とするものではない。救済命令のこのような性質上、救済命令においては、制裁的、懲罰的ないしは報復的要素を含ませてはならないのであり、不当労働行為としての解雇の場合についてなされるいわゆる「賃金遡及払」の命令も、右のような原状回復のための一手段としてのみ命ぜられるべきものであつて、そこに損害賠償的要素が混入することは許されず、またその「賃金遡及払」の金額については、この場合の賃金請求権が私法上どのように取扱われるかに全く関係なく(それ故に、後記の中間収入について私法上は労働基準法二六条の趣旨からして平均賃金の四割までしか控除し得ないというようなことは、ここでは問題とする余地がない)、当該不当労働行為によつて労働者が事実上蒙つた損失をもつて限度とし、労働者が解雇期間内に他の職に就いて得た収入は、それが副業的なものであつて解雇がなくても当然取得できる等特段の事情がない限り、これを遡及払賃金額から控除すべきものとされるわけである。右のような特段の事情のない場合の収入(以下この意味の収入を中間収入という)は、事実上、解雇がなかつたら挙げ得なかつたものなのであるから、解雇がなかつたと同じ事実上の状態を回復させるという救済命令の目的からすれば、右原状回復のための手段たる「賃金遡及払」の金額から中間収入を控除するのが当然であつて、このことは、解雇によつて収入を失つた労働者が他で収入を得ようとするのは必然的なことであるとか、解雇を争う労働者にとつて右収入獲得はいわば復職活動の一環と見るべきであるとかの理由によつては、左右されるものではない。また、もともと使用者は不当労働行為がなければ当然遡及賃金全額を労働者に支払わねばならなかつたものであるとか、右不当労働行為によつて労働者が賃金不払以外にも多大の経済的、精神的損害を蒙つているとか、その不当労働行為が特に悪質なものであるとか、使用者に経済的負担を重からしめることが労働者の復職を速めるのに役立つとかのことを考慮事情として中間収入不控除を相当とする論、或いは救済命令には教育的、啓蒙的、再発予防的目的があるとし、右目的の実効を挙げるためには中間収入を控除すべきでないとする論は、救済命令(その内容としての「賃金遡及払」の命令)における前記の原状回復の趣旨に照らし、いずれも、採用し得ないものである。なお、右のように中間収入を控除することにしたからといつて、救済命令が私法上の権利関係を確定するものでないことによれば、何ら、使用者を不当に利し、労働者に不当な不利益を与えることにはならないし、また、原職復帰命令が併わせなされていることによれば、公正な労働慣行の確立を期すという不当労働行為制度の目的を没却するに至るといえないこと勿論である。ところで、不当労働行為としての解雇は直接的には個々の労働者に対する不当労働行為、すなわち個別的労働関係における不当労働行為であるが、結局は、それを通して健全な労働組合運動の発達を阻害せんとするものであり、その意味においては労働組合に対する不当労働行為、すなわち集団的労働関係における不当労働行為でもある。しかしながら、右のような関係にあるが故に、個別的労働関係における原状回復がなされれば、そのことを通して、或いは、そのことの反射として集団的労働関係における原状回復も亦なされるわけであつて、原職復帰と「賃金遡及払」の命令が本来的には被解雇労働者についての救済方法であることは、被解雇労働者が解雇を承認して救済を申立てず、労働組合のみが救済を申立てた場合には、原職復帰や「賃金遡及払」を求める利益はなく、ただ不作為命令やポスト・ノーテイス等の措置を求め得るに止まると解されるのに徴して、明らかである。従つて、「賃金遡及払」の金額は、被解雇労働者の救済(原状回復)に必要かつ充分であれば、それで足りるのであつて、右不当労働行為が集団的労働関係における不当労働行為でもあることを理由に、集団的労働関係における歪の是正という観点から、更にその金額の増加を考慮すべき余地があるものとは認められない。しかして、右のような「賃金遡及払」を命ずるか否かは、労働委員会が事案に則して決すべきところであるとはいえ、いやしくも、原状回復のために「賃金遡及払」を必要であるとして、これを命ずる以上は中間収入は必ず控除すべきなのであり、合理的理由なくしてこれを控除しないことは、原状回復という救済命令本来の目的の範囲を逸脱して違法となるのである。尤も、例えば、中間収入を得るについての必要経費の如きは、中間収入から更に控除すべき合理的な理由があり、その他これに類する事情を考慮して、中間収入のうちいくらを「賃金遡及払」の金額から控除するかは労働委員会の裁量事項に属し、裁判所が代つてこれをなすことは許されないものであるところ、本件においては、中間収入を全然控除しないことを相当する合理的理由は認められないから、中間収入があるに拘らず遡及賃金全額についてなされた本件「賃金遡及払」の命令部分は全体として取消すほかないわけである。以上の外、本件における右命令部分を適法とする控訴人らの主張はすべて採用できない。

よつて、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条、九五条、八九条、九三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 横地恒夫 田中永司)

別紙第一 「控訴人東京都地方労働委員会の主張」

控訴人委員会は、都労委昭和三八年(不)第二五号不当労働行為申立事件、同第四五号不当労働行為申立事件につき、被控訴入が原審補助参加人戸所保を昭和三八年五月二〇日付で、同山下進を同年同月二五日付で、同大野善祐を同年四月一四日付で、同佐山昭一および同武井吉久を同年七月五日付で、同山本昭夫を同年同月九日付で(以下戸所ら六名という。)をそれぞれ解雇したことを不当労働行為に該当するものと認め、被控訴人会社に対し「被申立人会社は、申立人戸所保、同山下進、同大野善祐、同佐山昭一、同武井吉久および山本昭夫を原職に復帰させ、同人らが解雇された日から原職に復帰するまでの間に受けるはずであった賃金相当額を支払わなければならない。」と命じたのであるが、

原判決は、控訴人委員会が右命令において、戸所ら六名が解雇期間中、戸所は美鳩自動車交通株式会社に、山下は日停自動車株式会社に、大野は丸善自動車交通株式会社に、佐山および武井ははじめ志村興業株式会社、のちに東洋交通株式会社に、山本はメトロ交通株式会社にそれぞれ運転手として雇われて得た収入額を控除しないで賃金の金額の支払を命じたことは違法であるとし、右命令中「解雇された日から原職に復帰するまでの間に受けるはずであった賃金相当額」の支払を命じた部分を取消したのである。

しかしながら原判決は、以下の諸点において、労働組合法第一条、第七条および第二七条等に規定される不当労働行為制度の趣旨・目的ならびに労働委員会による制度の運用について、法の解釈・適用を誤つた違法がある。

一 労働委員会による不当労働行為の救済は、使用者の不当労働行為を排除し、使用者とその雇用する従業員との間の集団的な労使関係の場における正常な労働慣行を樹立することを目的とするのであって、個別的な労使関係のみに着目し、単に被解雇労働者の救済を図ることにつきる趣旨のものではない。

(一) 原判決は「いわゆる『賃金遡及払』すなわち賃金相当額支払の金額は、解雇がなかったならその労働者に支払われたであろうと思われる賃金額をもって最高限度とし、もし労働者が解雇期間中他の職に就いて得た収入があるときはそれが副業的なものであって、解雇がなくても当然取得できる等特段の事情がない限り、これを控除すべきである。」「労働委員会は……右のような事情がないのに他収入を控除しない賃金相当額の支払を命ずることは申立人側における原状の回復という救済命令本来の目的を逸脱して違法たるを免れず」(いずれも原判決理由第二本文)と述べているが、このことは不当労働行為の救済が被解雇労働者個人の損失補てんのみを目的としているものであると解していることを示すものである。

(二) しかしながら、憲法第二八条、労働組合法第一条、第七条、第二七条等の規定からみて、不当労働行為制度が集団的な労使関係の場に働くものであることは明らかである。従って労働委員会の救済命令は、使用者の不当労働行為によりゆがめられた集団的労使関係の場を、憲法第二八条に保障され、労働組合法第一条の目的が期待するような正常な状態に回復することをもって目的とするものであり、そのため過去・現在のみならず将来にもわたって使用者と被解雇労働者を含めた従業員間の当該労使関係全般に及ぶ広い視野に立って、命令が発せられるのである。

すなわち、不当労働行為制度における救済命令は、当該不当労働行為が行なわれなかったならば存在したであろう正常な労使関係、いわば労使関係のあるべき状態を実現確保することを目的とするものであり、労働委員会は右目的を達成するに必要な範囲内において裁量権を行使して命令を発し得、かつ発しなければならないものである。その命令がいわゆる原状回復にとどまるべきものであること(原判決は原状回復だけが救済命令の原則であるとしているもののごとくであるが)については現行法上なんら規定はない。ただ、不当労働行為が行なわれなかったならば存在したであろう労使関係のあるべき状態を実現するには、通常は原状を回復するのが一応妥当であるというのにとどまり、原状回復は救済命令の一形態にすぎないのであって、救済命令即原状回復命令なのではない。たとえば、一般民事事件においても原状回復とあわせて損害賠償を請求し得るのと同様に、救済命令においても、原状回復のみによっては正常な労使関係が実現し得ないときは、さらに必要な命令を発し得るのであって、いわゆるバツクペイ、ポストノーテイスなどはその一例である。

もとより、申立人に対し不当労働行為による私法上の損害の救済を与えることや使用者に対し懲罰を科することが不当労働行為の救済の目的でないことは、原判決判示のとおりである。しかしながら、そのことから直ちに、救済命令は「申立人をして不当労働行為がなかったのと同じ事実状態を回復させること」につきるものであるということはできない。当該労働者個人に対してどのような取扱いを与えるかということは、労使関係における救済の方法の一要素ではあっても、そのすべてではないのである。

(三) このような不当労働行為制度の趣旨・目的の理解は、旧制度の科罰制(昭和二〇年労働組合法)による間接的な救済措置が、現行不当労働行為制度(昭和二四年労働組合法改正)では制度の運用をもっぱら労働委員会に期待し、労働委員会の命令により直接的かつ迅速に、必要にしてかつ十分な救済措置をとることに改められた法改正の経緯からも肯認されなければならない。

(四) 従って前記(一)の原判決判示の態度は労働委員会による救済命令の本質を誤解しているものといわなければならない。

二 戸所ら六名の解雇につき、控訴人委員会が発した前記命令の内容は、控訴人委員会の裁量権に基づく適切妥当なものであって、原判決判示のような違法はない。

(一) 救済命令の本旨は前記一のとおり集団的な労使関係の場における公序の回復にあり、原判決摘示のように救済申立人をして不当労働行為がなかったと同じ事実上の状態を回復させること(原判決理由第二・本文)のみにあるわけではない。それだけでは、不当労働行為によって生ぜしめられた労使関係の歪みは是正されないからである。

このことは現行不当労働行為制度が申立主義を採用しているからといって、また救済申立人が労働組合であるか個人であるか(本件においては労働組合と個人の共同申立である)によって左右されるものではない。

(二) ところで、労働委員会がいかなる内容の救済を与えるかについては、労働組合法第二七条第四項に「申立人の請求にかかる救済」と規定するほか特段の定めはなく、結局、救済申立の趣旨に反しない限りもっぱら労働委員会の自由な裁量権に任されたものであることは原判決判示のとおりである。

(三) しかして、前述のとおりの救済命令の本旨からみて、労働委員会の裁量は被解雇者についての市民法上の利害関係に着目して行使されるべき筋合いのものでないことは明らかである。

この点については、原判決も、「いわゆる『賃金遡及払』を命ずる場合は救済命令申立人に債務名義を与えるものでも賃金請求権を認めるものでもない。」(原判決理由第二・本文)と右趣旨を肯定しているもののごとくであるが、被解雇労働者個人の損失補てんのみに着目する誤りを犯しているため、かえって原判決自らが否定した私法上の損害の救済を念頭に置いた結論を導くに至っている。

このような誤った結論を生じた原因は、前記一のとおり原判決が労働委員会のもつ自由な裁量権はいかなる対象に向けられたものであるかを見誤っているからである。

(四) 不当労働行為たる解雇がなかったと同じ事実上の状態を回復させる最も簡便な方法は、当該解雇の時点に遡って被解雇者を原職に復帰させればよい。しかし救済命令による原職復帰は事実上命令後の将来に向って実現しうることなのであって、解雇から復職までの間については(その間使用者が任意に復職させた場合のほかは)物理的に原職復帰は不可能なのである。このことはいわゆる「ポストノーテイス」が労働委員会の救済命令において定型的に活用されている所以からも理解し得るであろう。しかも、右のような解雇の状態を集団的労使関係の場についてみれば、被解雇者は職場から排除されて就労できず、賃金その他従業員としての利益を失い、その精神的苦痛も大きい。とりわけ被解雇組合活動家が職場から排除されていることによる組合活動上の支障、他の従業員に与える組合活動上の影響等は労働組合の組織の崩壊・弱体化を招来するに至ることは幾多の事例の示すところであり、使用者の意図もまさにここにあるのである。

(五) 労働委員会は、右のような原職復帰を不可能とする期間については、前項に摘示したような集団的な労使関係の場における諸般の事情を総合勘案し、不当労働行為たる解雇がなかったと同じ事実上の状態に最も近い状態に回復させるために金銭給付を命ずるものとすれば、その算定基準として被解雇者がその間働いていたならば使用者が当然に支払ったと考えられる賃金相当額の給付を命ずるのが相当であり、このような定型的な救済方法こそ集団的な労使関係の場における事案処理に最も適合するものとする見解に立つものである。しかして、労働委員会は発足以来二十数年間、確立されたこの定型を基準として、不当労働行為制度運用上、法的安定性と事件処理の促進に大いに寄与して来たのである。

従って労働委員会の命ずる賃金相当額をもって被解雇労働者個人のみにかかる問題として賃金の後払いと考え、使用者側の事情をもふくめた労使関係全体についての考慮を度外視して「賃金における労働者側の原状回復が実現されれば十分の筈」(原判決理由第二の一)とした原判決の判断は失当といわなければならない。原判決は、不当労働行為制度全体については救済により回復すべき状態に集団的労使関係における秩序が含まれていることを肯定しつつ、労働組合法第七条一号の不利益取扱に関しては、これを「個別的労使関係における不当労働慣行」として、「さしあたりその労働者個人を保護する救済方法」をもって足り、「賃金遡及払」はその手段であると解している。しかしながら、不当労働行為制度の趣旨は、これを全体として把握すべきものであり、いわゆる「不利益取扱」は不当労働慣行が個別的労働関係の場における現象として発現したものにすぎず、その本質が全体としての労使関係に関するものであることには、かわりはない。したがって、これに対する救済も単に「その労働者個人」を保護することにとどまらず、全体としての労使関係において不当労働行為が行なわれなかったならば存在したであろうという意味でのあるべき状態の実現が目的とされなければならないのであり、賃金遡及払もかかる意味における救済手段の一環として把握さるべきものである。原判決が指摘する労働組合法第五条一項の規定は、労働組合が労働組合法上の資格要件をそなえないことを理由として不当労働行為救済手続に参与することを拒否される場合においても労働者個人が救済の申立をなし得るという手続上の規定であり、同法七条に掲げる不当労働行為のうち一号(および四号)が労働者個人のみにかかわるものであり、二号、三号が集団的労使関係の秩序に関するものであるとする趣旨のものではない。したがって、現象として個別的労働関係においてあらわれる不当労働行為に関しては労働者個人のみが申立を行なうことができるというものではなく、労働組合は、同法七条各号のいずれの不当労働行為についても救済の申立をなし得ることはもとより、これに対する救済も、当該労働者個人に関する保護をふくめて全体としての労使関係の秩序に関するものとして理解されるべきものである。

三 戸所ら六名が解雇期間中他の職に就いて得た収入は、被控訴人会社となんらの関係もないものであるばかりでなく、右、他の職について得た収入額を控除しないことは控訴人委員会が不当労働行為制度の政策目的実現のための配慮でもあって、いずれの観点からみても控訴人委員会の命令になんらの違法はない。

(一) 被解雇労働者が解雇期間中他に生計の資を得ることは生活の途を使用者により絶たれた被解雇労働者としては不当労働行為たる解雇を争うためにも必然的なことがら(特に本件のような中小企業の労働組合には被解雇者の生計まで維持してやるだけの経済的余力はない)なのであって、その方法も、副業、自営業、所属労働組合等の資金援助、借金、銀行預金のとり崩し等があり、他の職に就いて収入を得るにしても解雇した使用者とはなんら関係のない個別の労働契約に基づくものである以上、被解雇労働者に別途収入があった事実を、労働委員会が救済命令を発するに当り、解雇した使用者の利益のために考慮する必要のないことは前記救済命令の本旨からみて当然のことといわなければならない。

しかるに原判決は被解雇労働者が生計の資を得ることを余儀なくされた事実について「……その救済が必要であるとしても、右救済を中間収入の不控除という方法によって過不足なく行ない得るという理由を発見することはできない」としているが、集団的労使関係の場における歪みを是正することを目的とする労働委員会としては、このような事情もまた使用者に対し定型的賃金相当額の支払を命ずる場合、当然考慮に入れなければならないことがらなのである。

まして、そのように中間収入を控除することが、後述のように被解雇労働者の負担において不当労働行為を行なった使用者の負担を軽減する結果となることを考慮すれば、その不当なことは明らかである。使用者に対して不当労働行為なかりせば当然支払うべき賃金の支払を命じることは不当労働行為の救済にとって不可欠のものであり、原判決判示のように「使用者に懲罰を科する」(原判決理由第二・本文)ものではない。不当労働行為の結果被解雇労働者が生計を維持するためにやむをえずとつた収入の方策を理由として使用者の負担を軽減することは、不当労働行為によって生じた労使関係の歪みを単なる個別的債権債務関係に還元し、原判決自ら否定しているところの「私法上の損害の救済」をもって不当労働行為の救済を論じる誤りを犯すものである。

ちなみに、原判決は被解雇労働者の解雇直前の平均賃金を基準として他の使用者から得た収入額の多寡を比較して「副業的収入」のみは控除の要なしと判示し、被解雇労働者が別途取得した賃金額が本来の使用者から得ていた賃金額を下廻われば副業的であり、それと同等または上廻った場合には副業的ではなくなると考えているようであるが、具体的な場合にその限界が極めてあいまいであるばかりでなく、何ゆえに本来の使用者と無関係であったはずの別途収入額が、本来の使用者から得ていた資金額と同等または超過した途端に本来の使用者とかかわり合いをもつに至るのか全く理解に苦しむところである。

(二) 最高裁第一小法廷判決(昭和三七年七月二〇日言渡)は、被解雇者が解雇期間中他の職に就いて得た収入は使用者が支払うべき賃金額から控除できるが控除の限度は平均賃金の四割にとどめるべきであることを判示(この判示に納得し難いことは前項のとおり)しており、他方最高裁第三小法廷判決(昭和三七年九月一八日言渡)は賃金遡及支払の金額(労働委員会の命ずる賃金相当額の支払いがこれに当てはまらないものであることは前記二の(四)(五)のとおり)からは他の職に就いて得た収入の全額を控除すべきことを判示している。右最高裁の二つの判決は別個の観点から判断されたものであったとしても、被解雇労働者の経済的事情からすれば明らかに一の事実について矛盾する解決策を示したものといわざるを得ない。

(三) しかも、前記最高裁第三小法廷判決は、他の職に就いて得た収入を「控除することなく、遡及賃金全額の支払を命ずべきものとすれば、救済命令は原状回復という本来の目的を逸脱し、使用者に対し懲罰を科することとなって違法たるを免れない。」と判示し、また、原判決も解雇期間中他の職について得た収入がある場合に「他収入を控除しない賃金相当額の支払を命ずることは申立人側における原状の回復という救済命令本来の目的を逸脱して違法たるを免れず、また……実質的には使用者に懲罰を科すことに帰着し、許されないのである。」と判示しているのであるが、使用者にとっては当然に支払わねばならないものを支払っただけで、それが何ゆえに使用者に対する懲罰となるのか、理解し難いところである。前記のような労働委員会の裁量に基づく定型的命令は、救済命令の本旨からみて集団的労使関係の場に不当労働行為たる解雇がなかったと同様の状態以上に労働者に有利なものでないことは明らかであり、前述のとおり、当然支払うべきものを使用者に払わせることが懲罰に当るといわれはないのであるから、右判示のいずれも前記二の(五)後段に摘示したような市民法体系の下における事情の判断をそのまま集団的労使関係を対象とする救済命令の適否の判断に利用したものと非難されてもやむを得ないところである。

(四) 賃金相当額の支払いを命ずるに当って他の職に就いて得た収入の控除を考慮すべきでないし、また考慮しないことにより、使用者の経済的負担は解雇期間の長期化に伴い増大することとなるのは見易い道理であって、このことから経済原則に支配される使用者は、その負担を軽減すべく不当労働行為たる解雇を早期に撤回し、復職の時期を促進する効果を期待し得るのであるから、右のような労働委員会の裁量はこの点からみても不当労働行為制度の趣旨に沿うものといわざるを得ない。しかも、他の職に就いて得た収入をすべて控除することになれば、使用者の経済的負担は著しく軽減されることとなり、(前記最高裁第三小法廷判決後、使用者側にび漫した風潮として看過できない)不当労働行為を助長させるばかりでなく、かりに労働委員会で救済されても原職に復帰させればそれで済む(負けてもともと)ということになり、かくては労働者・労働組合のために存在する不当労働行為制度の目的が没却されるに至ることは明らかである。

しかるに原判決は「中間収入」不控除は「使用者の経済的負担を重からしめ、この経済的負担をもって使用者の不当労働行為の防止に役立てようとする考え方に立脚するものであって、労働者側における原状回復の目的をこえて使用者に不利益を課すことを是認する点において失当」(原判決理由第二の五)として前段に反する判断を示しているが、これこそ労働委員会に課せられた使命を理解しないものであるというのほかはない。また、ここでも判旨は前述一、(二)で指摘したとおり原状回復のみを救済命令の原則であるとする誤りを犯しているのである。

(五) 他方、被解雇者は、わが国の労働市場の下において不安定な他の職に就いて生計の資を得つつ不当労働行為たる解雇を争わざるを得ないのであり、このような事実が、集団的労使関係の場において他の従業員・組合員に及ぼす影響は、企業内組合を基盤とするわが国の労働組合運動に、その労働組合の弱体化・御用化という使用者が不当労働行為に期待する効果を与えていることは看過できない。

しかるに原判決は「解雇を受けた労働者個人が、……解雇の当否をめぐって使用者と争うにあたって、賃金のみによっては賄えない程度の金銭的需要に直面することのあるべきことはみやすいところである。しかし、その需要を、いわゆる『中間収入』の不控除という方法によって、使用者の負担においてみたすべき理由はすくなくとも現行法上これを見出すことができない。」(原判決理由第二の四)「いわゆる『中間収入控除』を行なうと、解雇から復職まで他で働かなければならない多くの労働者は、無為に過す少数の労働者と比較すればかえって不利になるように見える。……しかし、この不均衡を是正するために、一切『中間収入控除』を行なわないということは、労働者側の原状回復という前述の救済命令本来の目的を超えて、使用者に対し、右原状回復には必要でない支出を強いることになって正当でない。」(原判決理由第二の三)として、前段に反する判断を示している。

しかしながら、労働委員会は、「中間収入の不控除」という方法によって労働者個人の金銭的需要を使用者の負担において充たそうとしたり、その蒙った損失の調整を「過不足なく」行なおうとするものではない。労働委員会による不当労働行為の救済が「申立人に対し不当労働行為による私法上の損害の救済を与えることや使用者に対し懲罰を科することを目的とするものでない」ことは原判決判示のとおりであり、右「金銭的需要」や「損失」を数量的に「中間収入の不控除」と過不足なく調整することは労働委員会の権限に属するものではない。ただ、それが不当労働行為の救済にあたって考慮すべき諸般の事情の一要素であることは疑をいれないところであって、これらの事情を考慮した上で「中間収入」の一部を控除すべきか全部を控除すべきか、あるいは全く控除しないかを定めるのは、労働委員会の自由な裁量の範囲に属するところである。

(六) 最後に、原判決「第三、取消の限度」の判旨は全く不可解というほかない。すなわち一方において「中間収入」を控除しないことが違法であるとしながら、他方において全部控除するか一部控除にとどめるか等の裁量はもっぱら労働委員会の権限にあるとしている点である。労働委員会が前記二の(五)のように定型的救済命令を発するに当り、観点は原判決とは異なるものの原判決判示のごとく「中間収入を得るために必要とした費用・労働の量、質等」も集団的労使関係の場における諸般の事情の一つとして既に考慮の対象にくりこまれているのであるから、その配慮を欠いたとして違法と指摘されるといわれはないのである。かりに判示を推しすすめた場合でも、労働委員会の裁量の結果「副業的収入」ではないが「一部控除」すら必要がないことも起り得る以上、全額の金員支払を命じても違法とはならないことに帰着する場合があるはずである。しかりとすれば、労働委員会が裁量の結果、全額以上の金員の支払いを命じたとすれば或いは裁量権の範囲を逸脱し、違法の責を負うこともあり得ようが、本件のごとく全額の範囲一杯に支払を命じたことは、もともと原判決が正当に指摘されるとおりの裁量権の限界内の処分にすぎないことなのである。しかるに原判決は、折角、労働委員会の裁量を認めその裁量に関与できないとしながらも、結論において「中間収入」を控除しない点は違法であるとして本件救済命令のうち賃金相当額の支払を命じた部分を全体として取消したことは全く理解に苦しむところであって、かくては、原判決は労働委員会の広汎な裁量権を認めながら、結局、その裁量権を否認する自己撞着に陥っているというほかいいようがないのである。

(七) 以上のように、他の職に就いて得た収入を控除しないとする労働委員会の配慮は、不当労働行為制度を維持し、制度の政策目的実現に役立つ適切妥当なものといわねばならず、前記一、二のとおりこれを違法とする法的根拠もないのである。

別紙第二 「控訴人(補助参加人)らの主張」

(第一)

一 バツクペイの性格

(一) 不当労働行為による解雇の結果、当該労働者は種々の不利益を受けるがその中心は、

1 職場から排除される。

2 賃金支払を停止される。

この二点である。後者に対応する救済命令がバックペイ支払命令である。

(二) 不当労働行為の救済は、通常労働組合法第七条各号の類型に従ってなされるが、そのいずれも使用者がなした団結権侵害行為の除去、防止を目的としてなされるべきである。それは同条各号によって違った性格の不当労働行為が特定されているものではなく、単に類型的に区別されているに過ぎないからである。いずれも憲法第二八条の団結権保障規定を具体的に実効あらしめる為に禁止されたものである。よって、同条一号四号を他の二号、三号と区別して使用者と不利益取扱を受けた者との関係のみに限って考えることは許されない。あくまでも集団的労働関係における団結権侵害を排除する為の個々の労働者に加えられた不利益取扱の排除として考察しなければならない。このことは不利益取扱排除の一類型であるバックペイ支払命令を考える場合にも強く要請される。

(三) 不当労働行為による解雇は被解雇者にとって個別的労働関係における死刑に相当する最大の不利益取扱であると同時に集団的労働関係においても決定的な影響を与える。

本件を見るまでもなく使用者は組合活動の中心人物を解雇し組合を混乱させ、又組合を徹底的に潰滅させる為に時期、人を選んで解雇する。特に日本のように企業別に組織された労働組合にとっては解雇攻撃による組織的動揺は激しい。

団結の中心となっている活動家を職場外に排除することによって容易に組合の団結を破壊することができる。

又、日本の労働組合は闘争資金の蓄積が浅く解雇が与える経済的打撃は被解雇者だけでなく当該組合にとっても甚だ大きい。

更に解雇が一般組合員および組合に同調的な非組合員に与える威嚇力は計り知れないものがある。組合活動によって会社に楯突けば安定した生活手段を突然奪われるということのみでなく、解雇撤回闘争を維持していくために組合員に与える有形無形の負担も大きい。

(四) 以上のような不当労働行為による解雇を救済する為に従来から

1 原職復帰を命ずること

2 バックペイの支払を命ずること

の二点を中心とした救済命令を労働委員会は命じて来た。両者は救済命令においていずれも不可欠である。

原職復帰命令が被解雇者に加えられた差別を解消しそれが破壊された団結を回復するのに役立つことは言うまでもない。バックペイ支払命令もそれに劣らぬ役割を果すものである。

1 使用者が解雇によって実現しようとした被解雇者への経済的圧迫の効果を命令が実行された段階で解消させる。

2 仕事をさせないでおきながら遡及して一括賃金を支払わされることは使用者特に中小企業経営者にとっては少なからぬ今後への戒めとなる。

3 バックペイによって被解雇者および組合の有形、無形の出捐の一部ではあるが償われる。

(五) バックペイ支払は不当労働行為によって生ぜしめられた労使の混乱を団結権保障の方向で回復するに不可欠の要素であるが、原職復帰命令と合せ考えても決して満足なものではない。このような意味においてもその限度で最少限不可欠のものである。

二 中間収入の性格

(一) 被解雇者は使用者より不当な経済的封鎖を受け原職復帰を得るにその前提である生命をまず維持しなければならない。日本の労働組合の現状からして被解雇者に生活資金を含めて経済援助出来る組合はまれである。とすればどの被解雇者にとっても原職復帰の活動の一部として生命を維持するための経済活動は不可欠となる。

(二) 右と同様、原職復帰するためには単に労働委員会の命令を待っているだけではなく、労働委員会の手続を進め、団結を維持し回復する為の活動をしなければならない。

その為の資金も、通常被解雇者を中心に調達しなければならない。以上のような活動をしなければ原職復帰も実現しない。又、その為の費用も不可欠である。よってそのような生活資金運動資金を獲得する為の活動は原職復帰の為の活動の重要な一部である。

(三) 被解雇者がこのような資金活動をすることは二重に非常な努力が必要である。

1 不当労働行為によって解雇された者は、通常の形態では容易に他に就職は出来ない。それは憲法で団結権を保障し、又労働組合法で不当労働行為を禁じなければならぬ現在の社会では当然であろう。

本件のようなタクシー業界では、就職する際、従前の勤務会社を報告させその会社に問い合せることが慣例となっている。

2 仮に他に職を得たとしても、従来より低賃金であり、その身分は非常に不安定なものである。

3 更に、前にも述べたように復職のための諸活動が不可欠であるが、このような活動と両立するような職、又、このような活動に役立つ職を選ばなければならない。その為に職を得収入を得る努力は一層困難となる。

(四) 以上の収入は、単に被解雇者個人の計算で又、被解雇者が孤立して行うものではない。復職の活動は被解雇者と組合が中心になって組合員、その他関係者が団結し一丸となって行うものである。その活動の為の資金作りの一環として被解雇者の経済活動も行われるものである。

よって仮に被解雇者が収入を得たとしても、それが被解雇者の生活資金の糧として使用されるものではない。又、逆に被解雇者が使用する費用は被解雇者が得た収入の範囲には留らない。被解雇者の収入はこのような総合的な資金活動の一部であり、全体的な復職の活動の中で使用されるものである。

(五) 以上述べたように、復職の活動に必要な費用として不可欠であり必要に迫られ取得され、更にその為には非常な努力と困難があるものであるから、生活費においては勿論、諸活動においても充分でなく赤字になって残るものであり、後になって使用者から一括支払われるバックペイによって補充されざるを得ないものである。

(六) 以上中間収入は、解雇前の収入とは全く性格を異にし、救済内容を検討する際、右を同一視して把握し得ぬものである。

三 中間収入控除の問題について

(一) 原判決は、都労働委員会の命令が被解雇者の休業中えた中間収入を控除しなかった点を違法とし、控除しないのは、「原状回復という本来の目的を逸脱するもの」であるとし、賃金不払のなかった原状を回復させる限度をこえる救済命令は許されないとしている。

しかし、救済命令が原状回復を前提とするとしてもその原状回復の範囲が前記の控訴人の主張する救済命令の目的に照して狭きに失し、誤りがあるといわねばならない。

即ち不当労働行為の救済は、単に賃金不払のなかった状態への回復を意味するものではない。

七条一号の不当労働行為と七条二号三号のそれとの差異から、一号の不当労働行為は、個人の労働者に対する不当労働行為であるとする見解があるが、原審判決は、その立場に立って、救済も又個人救済を内容とするとの誤りをおかしている。

諸説が論ずる通り、七条の規定は労働者の団結権に対する侵害行為の態様によって類型化したにすぎず、いづれも労働者の団結権に対する侵害として行われる以上その救済制度としての労働委員会の命令は専ら団結権侵害行為の予防乃至排除を目的とし、それに必要な範囲での命令を発しうるのである。

七条一号の不当労働行為は、その侵害が個別的労働契約の場において行われるのであるが、そのことによって、救済内容が単に個人の契約上の権利の救済として賃金不払いのなかった状態への回復のみに止まるべき根拠は全くない。中間収入を控除しなければ、原状回復の範囲をこえるという考え方自体集団的労働関係に対する侵害の排除という不当労働行為における救済の目的を見誤っているものといわねばならない。

労働委員会の救済命令の一内容としてのバックペイは、労働者が使用者の不法な労働基本権に対する侵害行為によって、蒙った損害に対する復旧の算定方法としてうべかりし賃金相当額の範囲という内容が採られたものにすぎず、労働者個人に対する賃金の後払いではない。

従って、これは被解雇者が、他に如何なる収入を得たかとは全く別の次元の問題である。不当労働行為と認められる使用者は、当然自己の行為に対する責任を負うべきであって、被解雇者の生きるがための必死の努力によって収入をえた事実によって、その負担を免れえることを正当づける何らの理由をもみ出しがたい。それこそ、むしろ団結権を守ろうとする労働者側について無用の負担をかけることになるのである。

仮りに、労働者個人としては、中間収入を得た上に、バックペイを得たことによって、解雇がなかった状態を上廻る利益をえたとしても、先にものべた通り使用者の不当労働行為によって、労働者及び労働組合の蒙った苦難及び組織破壊の損害は填補されるものではなく使用者の団結権侵害行為によって生じた損失について決して、完全な原状回復をもたらすものではなく、この意味での原状回復の範囲の逸脱ということはありえない。

(二) 民法第五三六条二項の問題について

原審では、民法第五三六条二項によって処理されるべきではないというが、先にのべた原審の判断の底流には、ぬきがたくこの民法概念が存在するものと考えざるをえない。そこで、この点についての控訴人の意見を陳述する。

労働委員会の救済命令としては、個人的救済を目的とするものでないことは前述の通りであるが、七条一号の不当労働行為に該当する場合には労働者は、裁判所に対して司法的救済を求めうるという点において、実体上の権利を考慮にいれる面があることを否定できない。

不当労働行為による解雇の場合に、労働者が民法第五三六条二項による賃金請求権を失わないことは当然である。

しかし、第五三六条二項但書について、因果関係を如何に考えるかによって解釈がわかれていること衆知の通りである。民法第五三六条二項は、対価関係にある債権債務者間の危険負担の原則を規定したものであり、但書は、その上に立って、債務者の不当利得を償還させ、双方の衝平を保とうとするものである。この規定の趣旨からいって、控訴人は、右但書にいう債務を免れたことによって得た利益とは、その債務を逸脱したことによって直接生じた利得であり、本件において問題とされるような別異の労働契約によって得た収入はこれに含まれないと考える。しかし反対の意見は「労働者は全労働時間を通じて使用者に対する勤務に服すべき義務を負う」(最高裁昭三七・七・二〇第二小法廷判最民一六巻八号一六五八頁)という考えから、休業中労働者が他に職をもって収入をえた場合には、五三六条二項但書にいう債務を免れたことによって得た利益に当るというのが、中間収入控除を必要とする側の根拠とするところの如く考えられる。

しかし、この因果関係の範囲に止まらず先に指摘した労働者の労働契約の性質そのものから我々は、この民法理論をこえて考えねばならぬ点があると考える。

即ち、労働法は民法原理の根底をなす契約平等の原理をこえ非対等の労使の契約関係を前提とし、経済的弱者である労働者の生存権、労働基本権の保護を規定し労働法秩序を形成しているのである。そして、労働基準法第二六条は、使用者の経営的領域における事由によって労働者が労働できない場合、つまり使用者の休業の場合に無条件で平均賃金の六〇%の支払を罰則をもって強制しているのは、まさに生存権を基本としてもろもろの労働基本権を規定している憲法の理念に基くものである。

従ってこの憲法及び労働基準法第二六条との比較において、労働法秩序に反する不当労働行為の救済として、使用者に対して六〇%の支払強制の他に四〇%の金額の支払を義務づけることは、何等不当ではなく、労働法の秩序維持にそうものといわねばならない。

救済命令の範囲は、民法第五二六条二項の解釈を右の如く考え、且、不当労働行為に対する救済としての必要性の範囲は、如何という観念からのみ労働委員会が独自に検討すべき問題である。従って、民法第五三六条第二項及び但書の規定は中間収入をバックペイから控除すべしとする何等の根拠とはなりえないものである。

以上述べてきたところから、原判決が具体的明示の理由として揚げた点及び原判決の根底となる理念は認めることができない。

(第二)

一、控訴人東京都地方労働委員会が本件救済命令において、バックペイ支払命令も含めた救済命令を出さざるを得なかった本件不当労働行為の特徴は左のとおりである。

(一) 本件解雇は、使用者として憲法、労働組合法上イロハのイである労働組合を認めること――それを野蛮に否定する為に行つたものである。

中小タクシー経営を行っている被控訴人が、頑強に従業員が組合結成するのを嫌ってなした解雇である。その為、企業内組合が役員選出して組織を確立することを徹底的に嫌い妨害して解散に追い込んだ。

(二) そして、組合存続派であった控訴人大野、戸所、山下に対する配車差別(タクシー運転手の賃金は歩合給部分が多く、与えられる車によって自分の収入――お客が乗らない、走れない、故障する――に影響してくる。)、大野等三名に対する解雇等の手段に出た。

(三) 企業組合存続中から企業内組合では、被控訴人の組合つぶしには耐え切れないと考え、控訴人戸所等は控訴人組合に加入していたが、企業内組合が解散させられ、結局控訴人組合第二鳩分会として活動せざるを得なくなった。

(四) 分会は公然化早々三名の解雇者をかかえ、その解雇撤回斗争を行わざるを得なかったがこれに対し、被控訴人は執拗な攻撃を加えた。

その例も、社長自らの寮監視、分会員に対する配車差別、解雇問題で弁護士事務所に集まったことまで監視して文句をつける等全くきちがいじみたものであり、このような意図のもとに続いて控訴人山本、佐山、武井も解雇したものである。

二、これ等不当労働行為によって受けた控訴人組合及び控訴人戸所等六名の被害、混乱は甚大なものであり、その団結破壊の与えた影響は要易に回復しがたいものである。被控訴人の不当労働行為によって企業内組合がつぶされ、分会の活動家が根だやしにされたのである。

三、本件解雇によって受けた控訴人等の個々の苦しみは、原審控訴人準備書面昭和四〇年二月一日付及び同四一年九月八日付にも主張されているが、解雇に至るまでの配車等における差別、復職後における差別(仮に使用者が都労委命令、緊急命令等に従ったとしても当然予想される差別である)等を考えれば、筆舌に尽せぬものがある。このような苦しみの末獲得した救済命令においてバックペイ支払すらも与えられぬとすれば、多くの労働者は解雇撤回の闘いは放棄してしまうであろう。憲法、労働組合法上の不当労働行為制は労働者のこのような苦しみ抜いた闘いにささえられて、確立し機能するものであることを裁判所も否定できないであろう。

四、更に本件で予想されるバックペイはこのような控訴人の経済的、精神的苦しみに較べれば全く安いものである。前述したとおり、控訴人等は解雇される前、不当な配車差別を受け、平均賃金の算定基礎となる解雇前の賃金そのものが不当に安くなっているものである。

そして復職後も不当な賃金差別を受けていたことは原審で主張立証したとおりである。

五、以上の諸事実を考えれば、都労委が本件において救済命令の内容としてバックペイ支払を命じたのは当然であって何ら違法な点はなく、このような都労委の命令を取消した原判決はすみやかに取消さるべきである。

別紙第三 「被控訴人の主張」

一、(一) 控訴人は不当労働行為制度の目的は労働者の蒙つた不利益を補填することにあるのではなく、労使間における健全な労働慣行を確立することにあるのであるから、救済の限度を原状回復にとどめるべきいわれはないと主張する。確に不当労働行為制度の目的が不当労働行為による民事上の損害を回復させる意味における労働者の不利益の補填にあるのではなく、窮極的には労使間における健全な労働慣行を確立することにあるのは控訴人のいうとおりであろう。しかし労働組合法七条一号の不当労働行為の場合、救済命令によって個々の労働者の利益が保護されることも否定できないところであり、このことは不当労働行為の救済に申立主義を採用しているわが法制の下において特に顕著である。不当労働行為制度は直接的には使用者の不当労働行為によって受けた労働者の不利益を原状に回復させることを目的とし、右目的が達成され、労働者の不利益が原状に回復されることを通じて労使間の健全な労働慣行の確立が期待されているものというべきである。最高裁判決も、「労働委員会による不当労働行為を排除し、申立人をして不当労働行為がなかったと同じ事実上の状態に回復させることを目的とするものであって……」と述べ、右の理を認めている。

従って労働委員会の救済命令によって労働者を不当労働行為がなかった場合よりも事実上有利な状態に置くことは、この制度の期待しないところであり、そのような内容の命令は、救済命令の範囲を逸脱した違法なものというべきである。

(二) 原状回復以上の救済命令は、不当労働行為を予防するという効果をおさめ、健全な労働慣行の確立に資するところが大きいことはいうまでもないが、労働者に不当労働行為がなかったときより以上の利益を与えるという不都合な結果を招来するのみならず、使用者に対し不当労働行為がなかったときより以上の不利益を課して罰金を課したと同様の効果を与えることとなるが、労働委員会にかゝる懲罰的命令を発する権限を認めた規定がないばかりでなく、そのようなことは旧法の処罰主義を廃し、独立行政委員会による救済主義を採用した現行労働組合法における労働委員会の権限に親しまない事項である。従って控訴人の主張するように、単に不当労働行為救済制度の目的が労使間における健全な労働慣行の確立にあるという一事だけによって、労働委員会の救済権限の範囲が原状回復に限定さるべきことを否定するのは許されない。

(三) 控訴人は、原状回復は救済命令の一形態にすぎず、救済命令即原状回復にあらずと主張し、その根拠として救済命令が原状回復にとどまるべきものであることについて現行法上なんら規定はない旨述べているけれども、右規定がないからといって、原状回復の範囲を超え前述のごとく労働者には不当労働行為がなかったときより以上の利益を与え、使用者には不当労働行為がなかったときより以上の不利益懲罰的効果を与えるような救済命令が許されるべきものでなく右規定の不存在は何ら控訴人の主張を根拠ずける理由とはなり得ない。

控訴人は、一般民事事件において原状回復とあわせて損害賠償を請求し得る場合を例にとり、救済命令においても右と同様原状回復以上の命令を発し得るかのごとく説明するが、右例示はあくまでも一般私法上の損害賠償請求であり、右請求においては請求者による法定の各要件の主張が必要でありそして右請求が認められるには司法裁判所の専権的判断を経ることが必要なのである。

従って労働者において原状回復をこえたバックペイを請求するには、右請求権の発生要件を示して司法裁判所へ訴を提起する方法によって行うべきであり、行政委員会たる労働委員会の行政上の命令によって右請求を認めることは違法である。司法上の救済と行政上の救済とは厳に区別すべきで労働委員会がそのような命令を発することは、司法裁判所の権限に属する事項を行うもので違法のそしりを免れない。

(四) 控訴人はバックペイを命ずることが労働委員会の自由裁量に属するということから労働者の別途収入を賃金より控除すること自体も労働委員会の自由に委かされているのであって、その控除をしないことにより違法の問題は生じないという。しかし労働委員会がバックペイを命じ得るのは労組法七条一号違反行為またはそれによって生じた違法状態を排除して、その違反がなかった状態を回復するつまり原状回復という救済命令の目的と限界内に限られるのであって原状回復以上のものを命じることが、その権限の範囲を逸脱し違法となることは前述のとおりである。

従って不当労働行為の救済方法として原職復帰のほかにバックペイを命ずるかどうかが労働委員会の裁量に属するとはいえ、バックペイを命ずる限り、別途収入は必ず賃金から控除しなければならない。

二、(一) 控訴人は被解雇労働者が解雇期間中他の職に就いて収入を得てもそれは解雇した使用者とはなんら関係のない別個の労働契約に基くものであるという。しかし、労働法の規制の対象である従属労働に服する労働者は、労働日の全労働時間を通じて使用者に対する勤務に服すべき義務を負うべきものであるから、使用者によって解雇されなかったならば当然別個の労働契約を結ぶことは不可能であった筈であり、使用者に対する労働義務を免れたことによってはじめて別途収入を得られたわけである。従って被解雇労働者の別途収入は別個の労働契約から生じたものであるにしても原状回復を目的とする救済命令においては当然考慮に入れねばならぬ事柄である。また控訴人は中間収入の控除が被解雇労働者の負担において不当労働行為を行った使用者の負担を軽減する結果となるから、不当である旨主張するが右主張は正しくない。何故なら解雇期間中使用者は被解雇労働者から労働の給付を受けておらずその点において使用者も負担を蒙っており、従ってその期間中賃金の支払を免れたとしてもそれはもともとのことであって何らかの意味において経済的負担を免れたことにはならないからである。勿論中間収入の控除も認めない金額のバックペイを命ぜられた場合よりも事実上経済的負担の軽減されることは控訴人主張のとおりであるが、他方バックペイと同時に発せられる復職命令によって労働者を企業から排除せんとする使用者の企図は終局的に阻止され、不当労働行為排除の目的は達せられるのであるから中間収入の控除が労働者を企業から排除せんとする使用者の意図を容易に実現せしめるものとは限らない。

そして別途収入を控除してバックペイを命ずることは、私法上の損害の救済をもって不当労働行為の救済を論ずることにはならず前述のごとく労働者をして解雇がなかったと事実上同一の状態に回復させるのが不当労働行為救済の目的であるから救済命令において別途収入を控除してもそれは右目的上当然のことであり、原状回復によって労使間の健全な労働慣行の樹立が期待されているのである。

もし被解雇労働者において、不当解雇により何らかの形で損害が生じたとしてもその損害の救済は別途収入不控除によって行われるべきものでなく一般私法上の損害賠償請求として裁判所の判決によって行われるべきものである。

何故なら損害発生の有無並にその額についての認定は、当事者の要件事実の主張を待って、一般証拠法則に従って行われるべきであり、行政委員会である労働委員会が損害発生の有無その額につき、単なる経験上の推測に基いての不控除という形で行うことは、著しく使用者の利益を害し労働委員会の権限の範囲を越えたものと言わざるを得ないからである。

もし、被解雇労働者が解雇期間中従来の使用者から得ていた賃金額の数倍にも上る賃金を得ていたとすれば、解雇による損害はまず考えられないところであり、そのような場合にも通常労働者は解雇により損害を受けるとの経験上の推測に基いて、その損害を考慮した意味での全額バツクペイを認めることが正しいものであるか極めて疑問である。

(二) 控訴人は使用者の全額のバックペイは、当然支払うべきものを支払っただけで、それが何ゆえ懲罰となるか理解し難い旨陳述する。しかし、救済命令の目的たる原状回復は経済的には労働者に対し解雇がなかったのと事実上同額の収入を得せしめることであり、中間収入があればそれを控除してバックペイを認めれば労働者の収入は総額において解雇なかりし場合と同額となり賃金上の原状回復は実現されたことになること明白である。救済命令が私法上の請求権を考慮せず事実上の原状回復を目的とする以上右で充分である筈であり、そうとすれば全額バックペイが使用者の当然支払うべきものとする考えは、いずこより発想され得るか理解に苦しむところである。

控訴人自身使用者に対する責任追求においてのみ、市民法上の思考に拘束されている矛盾をおかすものと言わざるを得ない。

(三) 中間収入の不控除によって使用者の経済的負担を重からしめることが解雇の早期撤回を効果あらしめ、もし中間収入の控除を認めれば使用者に対し、負けてもともとという気持を抱かせ、不当労働行為を助長させる結果になると控訴人は主張するけれども、右主張は結局救済命令における原状回復という目的をこえて使用者に対し、いわば経済的な制裁を加えることをもって、不当労働行為の防止を図ろうとするものであり、そのような制裁を課する権限は労働委員会の裁量権の範囲外にあること明白であり、この点原判決の判断が正当である。

(四) 解雇を受けた労働者個人が、解雇の当否をめぐり使用者と争うにあたって賃金だけでは賄えない金銭的需要に直面し、その他何がしかの損害を蒙るからそれらを救済命令を発するにあたって考慮すべき諸事情の一要素となし、右事情を考慮したうえで中間収入を控除しないとすることは、結局控訴人が主張するにもかゝわらず実質的には中間収入の不控除をもって右金銭的需要や損失を填補しようとする市民法的結果に帰着するのと異らずそれによって労使間の公の秩序は労働者側に有利に展開することは疑を入れないところであるけれども、反面右金銭的需要や損失と中間収入の不控除が過不足なく行われる保障もない上、労働者側の原状回復という救済命令本来の目的を越えて使用者に経済的負担を課するもので、労働委員会の自由な裁量の範囲外に属する。

もし中間収入を控除しないバックペイを認めた救済命令が発せられると債務名義とはならなくても制裁規定をもって使用者に強制される以上、使用者としては全額支払わざるを得ないが、その後使用者は労働者に中間収入あることを理由に一般私法上の規定に基き返還請求の訴を裁判所に提起することになり、右訴訟では労働者としては当然前記諸事情の損害をもって相殺の抗弁を提出するに至るであろう。

そうとすれば結局前記諸事情の解決は裁判所における私法上の観点からの判断に待たざるを得ず、救済命令において中間収入の不控除をもって前記諸事情を考慮することは迂遠でしかも不正確な方法と言わざるを得ない。

(五) 控訴人は原判決が一方において「中間収入」を控除しないことが違法であるとしながら他方において全部控除するか一部控除にとどまるか等の裁量をもっぱら労働委員会の権限にあるとした点をとらえ、右判示は自己憧着に陥っていると非難するけれども右非難は正当でない。

たしかに控訴人主張のごとく労働委員会の裁量の結果、一部控除すら必要のない場合があり、そのときには全額の金員支払を命じても違法とならない場合があり得るけれども、一方全額控除の必要がある場合に、これを全く控除せずに全額のバックペイを命ずるならばそれは裁量権の範囲を逸脱して違法と言わざるを得ない。

すなわち、たとえば他で本格的に働いて得た収入が従前の給与と実質的に同等である場合や従前の給与の額より少ないが労働の質と量において本質的な差はなく労働の全時間を利用して本格的に働いて収入を得た場合(いわば救済手続外で実質上復職またはこれに準ずべき経済的地位が実現された場合)には裁量権の行使として控除すべき場合であって、合理的理由なくして控除しないことは裁量権の乱用の典型的場合に当るものとして違法となる。

本件の場合の中間収入はまさしく右の場合に該当し、当然全額控除すべき性質のものであるから、これを控除しない救済命令は裁量権の乱用として違法となるのである。

そして救済命令を発する権限は、あくまでも労働委員会の権限であり、裁判所がその内容を変更して救済命令を発することはできないから、労働委員会の発した救済命令に違法な点が含まれているときは裁判所はこれを全体として取り消さざるを得ないのである。

原判決は、右の点を述べているのであって控訴人の非難は原判決を正しく解釈しないところからくるものである。

以上

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